いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

風とおしのよい自分で生きる。

 

最近、気が乗らない場には、極力近寄らないようにしてた。

 

地震以降かな、人の念に妙に敏感になっていて

人に逢いたいと思うことがものすごく減ったし

Facebookとかも、メッセージが届くから開くものの

なんだか見たいと思えない。

 

なんだろな。

社会全体がエネルギーの出口を失って渦巻いてるみたい。

 

  

だからどうだとか、何がいいとか悪いとか

自分とは違う価値観を批判したいんじゃないんだよー

ただ、自分にとって心地よいかどうかってだけの話で。

 

わたしは、風とおしのよい所にいたい。

 

どれだけわがままと言われても

それがとてもシンプルな欲求なんだなって

改めて自覚できて、よかったと思う。

 

 

そんなおおげさじゃない、ささやかな場所でいい。

自分という神殿を、毎朝掃き清めるようにして

風がとおるように一日を過ごせれば、わたしは幸せだ。

 

たとえば、自分を傷つける相手と一緒にいるとか

心地よくない場所に居つづけるってのは

自分という存在に対する冒涜だと思う。 

 

 

どうやって?ってのは、今はまだよくわからないんだけど

いつか、すべてがまるっとうまくいくような瞬間がくる。

わたし個人だけの話じゃなくて、社会全体がね。

 

甘いって言われるかもしれないけど

それは夢物語ではないって、わたしは思ってる。 

 

そしてそれは

自分という存在を満たしていくことからしか始まらない。

 

まずは自分、自分の手の届く範囲、半径5メートルの幸せ。

 

そこを見ないまま、世界も何もないよ。

世界平和はいつだって、今ここ自分から始まるんだ。 

 

だから、自分を本気で満たそうって人ほど

本気で世界平和に向かってる人だって、わたしは思ってる。 

 

 

あれれ。

ささやかな話をするつもりだったのに

いつの間にか、でっかい話になってた(笑)。

 

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まぁいいや。

わたしは今日も、自分を生きる。

なにがあっても、なにもなくても。 

  

 

 

ameblo.jp

 

 

 

 

 

 

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