なにがあっても、なにもなくても、あなたはあなた。
今がどんな状況であっても、あなたはあなたでしかない。
パートナーがいなきゃとか
家庭円満じゃなきゃとか
お金稼がなきゃとか
人気者じゃなきゃとか
素敵な自分じゃなきゃとか
この自分は〇でこの自分は✖とやってるとしんどいけど
〇だの✖だのいう前に、
今現在、現実のわたしはこうなんだ。
ってことをただ認めるだけでいい。
必要以上に盛る必要もなければ、卑下する必要もない。
パートナーがいる私はわたしだけど
パートナーがいない私はわたしじゃない?
稼いでる私はわたしだけど
稼いでない私はわたしじゃない?
いやいやいや。
いてもいなくても、あなたはあなたでしかないでしょう?
そして、状況によって、あなたの持ち物によって、
あなたの価値はコロコロ変わったりしない。
もし変わるとしたら、それは人それぞれの価値観によるもので
あなたの存在ではなく状況に価値を見る人とつきあいたいかどうかは
あなた自身が決めることができる。
先日、たくさんの人が集うパーティーで、たまたま
独身女性ばかりでワイワイ楽しく話してたテーブルがあった。
そこに、フィニッシングスクールの先生が入って
得意げに立ち振る舞いを披露してたんだけど、
わたしはその先生のかもしだす空気感が苦手すぎて
にっこり笑って、すぐにトイレに逃げた。
「あなた何歳?へぇ。✖はついてないの?」
何で今日会ったばかりの人に
上から目線で値踏みされなきゃいけないのか
わたしには意味がわからない!
さすがに大人なみなさんは、ネタとして楽しんでたようだけど
わたしは楽しいパーティーをそんな時間に費やしたくないから
すたこらさっさと逃げて、別のテーブルで楽しんだ。
まぁ、よくあることだ。
数字や肩書のマジック。
何歳と聞いて、職業を聞いて、わかったような気になってしまう。
たったそれだけの会話で、その人の人生の何がわかったと言うんだ?
自分の尺に当てはめて、判断しただけじゃないか。
けど、わたしたちはよく、そういうことをやってしまう。
もちろんわたしだって、その一言でその先生のことを
決めつけてるわけだから、おんなじだ。
最初は、表層的なものしか見ることができないから
しかたない部分もそりゃあるけど。
情報ばかりで、ひとそのものが感じられないのは
頭の中がいっぱいいっぱいで、感じるスペースがないからだ。
ひとは、自分が満たされているとき
他人のことなんて、とくに気にならない。
何歳でどこで何をして、何を持っているかという情報よりも
その存在ともっと近づきたいと感じるかどうかが大事だ。
自分が満たされていたら
誰かを説教する気にもならなければ
幸せアピールをする気にもならないし
わー楽しい♡♡♡
と、目の前のことをただただ楽しめる。
ひとは本来、そうやって幸せを味わっていたい生きものだ。
だから、人生において
そんな時間を増やしていけたらいいよねって単純な話。
好きなことやったらいいじゃん。
苦手な人がいたら、逃げたらいいじゃん。
それは、自分で選べる。
自分を満たす
ってのは、そういうこと。
それをやり続けたから、自然とこう思えるようになった。
なにがあっても、なにもなくても、わたしはわたし。