今日も生き切った!と言える人生を
人生の わりとはやい段階で
両親の死を体験したわたしは
人から見てどうあろうと
よその人がどう言おうと
本人さえ満足していれば
いい人生なんじゃないか
と、かなり本気で思ってる。
13歳のとき突然、母が病気で亡くなり
人って、こんなにもあっけなく
死んじゃうもんなんだ!
とわたしには衝撃だった。
当時のわたしには
母の人生は、とても不幸に見えた。
だから、わたしはとても苦しかった。
5人の子どもの世話に明け暮れ
時に暴れるわがままな父を支えて
自分の事はぜんぶ後回しにして
報われないまま、死んでいった…
ように、幼いわたしには見えた。
けど、それはわたしの目から見て、であって
母自身がどう思っていたかは、母にしかわからない。
何年も、何十年もかけて
母の人生を
心から尊重できる成熟さを
わたしはようやく、身につけました。
この道のりは、ほんとうに長かった・・・
父親は、その後再婚してから
女性に尽くす喜びに目覚め
公私ともに幸せの絶頂、というタイミングで
交通事故にあい、あっけなく逝ってしまった。
まったくもう。
最後まで自分勝手なんだから・・・
父も、もっと長く生きたかっただろうとは思うけど
3回も結婚して、尽くされる側も尽くす側も経験し
苦労も多かったけど、仕事も認められて
あんなにわがままなくせに、家族にも愛されていて、
父の人生は、
やっぱり幸せだったんじゃないだろうか
と、子どものわたしから見ても思う。
遺されたものにとって、そう思えることは
何よりのギフトです。
そんな両親の一生を見てしまったせいか
わたしは、ことあるごとに、立ち返る。
この人生をどう生きるか?
長いか、短いか?ではなく
何を成し遂げたか?でもなく
毎日、できるだけ
思い残すことはないように
生き切りたい。
心残りが積み重なっていくと
一歩がとても重くなる。
わたしは、周りにどう思われたって
たいして気にはならないけど
願いはただひとつだけ。
何十年後かもしれないし、
明日かもしれない、ある日
自分がこの一生を終えたとき
身近なたいせつな存在に
ゆきちゃんはきっと、幸せやったろうねー
好きなように、生きてたもんねー
いい人生やったねー
と笑っていてほしいのです。
決して
人によく見られたい、とかじゃなくてね。
わたしがどう生きたくて生きたのか
取り繕いようもないくらい、
縁あってわたしのそばにいてくれた
大切なひとたちにだけは
しみじみ伝わるといいなぁって。
ほかに何も残さなくても
そのギフトがどれほど大きいかを
わたしは身をもってしっているから。
そんな風に、
わたしは生きたいと思うのです。
あなたは、どうですか?
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