マドレーヌの便り
ひとは、美しい。
とくに、なにも意図していないときほど
そのひとの生命力が浮き彫りになる。
今朝、窓の外をふと見ると
庭にたたずむ継母の姿。
なんともいえない表情をしているのは、きっと
今日が父の命日だからだろう。
ひとのなにげない姿の背景には、人生がある。
当たり前のようでいて、忘れてしまいがちのこと。
ただ表面に見えるものだけでなく、それぞれの背景に
思いをはせられるひとでありたいと思う。
生前、父は彫刻を教えていた。
父の教え子さんで、毎年欠かさず命日に間に合うように
お手製のマドレーヌを山のように贈ってくれる方がいる。
しっとりとちょうどいい甘さで、すごく美味しい。
「先生がお好きだったから、お供えください。」
一年に一度、そう言ってお互いの無事をいたわりあう。
こんなに律儀にひとを思い続けること、わたしにはとてもできない。
生きていると、ほんとうにいろんなことがあって
日々の忙しさに紛れて忘れてしまうこともたくさんあるのに
大切にしてくれて、ほんとうにありがとう。
父の専門は、首から上を粘土で作る「塑像」と呼ばれる彫刻だ。
塑像とは、表面の造形を見るのではなくて
骨格を捉えていくこと、と聞いたのは今でも覚えている。
「本質を捉えよ。」
そう言葉で言われたわけじゃないけど、
結局、父はそういうふうに生きたんだなぁと思う。
家族から見たら、わがままな子どもみたいな人で
強烈なオレ様で、ほんと困った人だったけど。
うんざりするほど暑かったあの夏から、今年でもう18年。
家族だけじゃなくて、今もなお誰かのこころに生き続けるなんて
父はきっと思いもよらなかっただろうけど
お父さんの人生は、幸せだったね。
今日は姉とお墓参りへ。