いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

ひとはもっと図々しく生きていいんだと思う。

 

10年ほど前、ベトナムに住んでいたことがある。 

 

青年海外協力隊で、日本語教師として2年間赴任した。

 

ベトナムの人たちは、とにかくエネルギッシュで 

人との関わり方が家族のように親密だ。 

   

とくに、日本人の感覚からすると 

ほんとうに距離が近い。  

 

 

初対面の挨拶で、矢継ぎ早に

 

「名前は?年いくつ?

結婚してるの?子どもは?

どこ住んでるの?

仕事は?給料高い?」 

 

おいおい。そこまで聞いてどうすんの?

ってくらい聞いちゃうのが当たり前な文化。

 

おせっかいで知りたがりだけど

「わたしは、こうしたい。」と自分の意思を伝えると

「あっそう。」と、拍子抜けするほどさらっとしてる。

 

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赴任したばかりのころ、わたしは頼まれごとを全部引き受けていた。

 

通常の業務以外で、イレギュラーに頼まれるのは

同僚の日本語教師たちがベトナム語から日本語に訳した文章を

日本人から見て不自然じゃないかどうか、チェックする仕事が多かった。 

 

一つ一つは大した分量ではなくても、日越企業の契約に関わるような文書や

大使館に提出するような公文書もあり、さらりと流し読みできるものではなかった。

 

 

ほかに日本人はいないから仕方ない。

 

そう思って引き受けていたけど、そもそも専門分野外の文書だし

何しろ、わたしはまだベトナム生活のリズムができていない頃で

わたしにとって、この仕事は精神的なプレッシャーが大きかった。

 

あるとき、同僚からまた急ぎの仕事を頼まれたけど

もう。なんでいつも、こんなギリギリに言うんだ!と腹が立ち 

 

「わたしも、明日の授業の準備がまだ終わってないから、できない。」

 

と、思い切って断ってみた。

 

当時のわたしにとっては、ものすごく勇気がいった。

 

 

そしたら、まったく悪びれもせずに

「じゃ、一週間後でもいいよ。」

と返ってきて、びっくりした。 

 

 

はぁ~っ???

あんたさっき、明日提出って言ったやん!

急ぎやないやんかっ!!

なら、最初から一週間後って言ってよーーー(>_<)!!!

 

・・・と、こころの中で叫んだ。

 

 

買い物ひとつとっても、売り手と買い手が駆け引きしながら

交渉を重ねて折り合いをつけていくという文化だ。

 

大真面目に、言われるがままに、文句も言わず引き受けて

無理してこなしてた、わたしのほうがバカだったんだ。 

 

 

あ。同僚の名誉のために言っておくけど!

 

彼らのコミュニケーションの根底には 

 

「本人の事情は、本人にしかわからない。

 

だから、

できない時は、できない!

って、本人が表現するはず。」

 

という相手への信頼がある。 

まぁ、「自己責任」ともいうけどね。

 

 

だから、自分の希望を伝えたうえで、相手の希望をくみ取りつつ

着地点を見つけていくという、やりとりの手間を惜しまない。 

そうやって、お互いの納得する位置にたどり着くことが喜びなんだ。

 

赴任当初のわたしには、そこがまるで見えてなかった。

 

相手の立場を察しおもんぱかって…という日本的感覚は

たしかにないんだけど、それはやっぱり文化の違いで、

どっちがいい悪いって話じゃないんだ。

 

まぁ、はじめのうちに気づいて、ほんとよかった。

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去年の3月に、ベトナムを再訪した。

 

日本語教師時代の上司である、ハノイ国家大学の先生方は

まったく変わらないあたたかさで、家族のように迎え入れてくれて

それが、ほんとうにほんとうに嬉しかった。 

 

「もう、日本語を教えてないの?」と聞かれ

 

あれから心理学を学んで、カウンセラーになったんだと話すと 

 

「そういう仕事は、必要とされているんだと思う。

でも、まだまだベトナムではビジネスとして成り立たないわ。

だって、家族に相談するのが当たり前だから。」 

 

と、もっともなことを言われて、笑ってしまった。

たしかに、ベトナムではなぜか、人が悩みを深刻に抱えてるイメージがない。

 

状況的に、ものすごく大変そうに見える場面でも

なんだかみんな、明るくからっと笑っていて

生きるエネルギーにあふれている。

 

 

社会情勢も、文化も歴史的背景も、人の気質も距離感も違うんだもの。

どっちがいい悪いという二元論では話したくない。

 

けど、わたしは、ベトナムの人たちの人との接し方や

あっけらかんとしたコミュニケーションスタイルが

なんだか人として愛らしく感じて、とても懐かしい。 

 

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ハノイの発展はものすごく、ピカピカのショッピングモールもあり 

 

そのすぐ隣には、お風呂イスを並べたローカルな露店が並び

天秤棒を持ったおばちゃんも、やっぱり健在だ。 

  

あぁもう、この人たちの生命力には、とうていかなわない。  

 

彼らのたくましさやしたたかさに、時に悔しい思いもし 

タクシーの運ちゃんにぼったくられては文句を言い

でも、わたしはほんとうに助けてもらってきた。 

 

あのころ、遠慮なんかしてたら、生きていけない!

 

わたしもずいぶん厚かましくなったつもりでいたけど

今もなお、身近な存在にほど遠慮してる自分を発見して

なんだか急に、ベトナムの人たちのことを思い出した。

 

わたしの中で、ベトナムの人たちのイメージは

とにかく人間くさくて、

「ひとのあったかさ」と直結している。

 

蒸し暑いベトナムでは、2時間ほど街じゅうが昼寝する習慣があって

大きなベッドにみんなでゴロンと横になり並んで眠ってた。  

 

もしかしたら、今はもう薄れてるかもしれないけど。

   

 

いや。だって、脳みそとけそうなくらい暑いもんだから

その時間帯は店も全部閉まって、街じゅうしーんと静まりかえる。

家族も、友だちもみんな、一眠りしてからまた仕事を始め、 

眠ってた街が一斉に動き出す。

   

 

これを書くまで、本当にすっかり忘れてたんだけど…

 

あの光景は、街じゅうがみーんな昼寝してるんだから

あんただって、無防備に眠っちゃっても大丈夫だよ!

という「安心感の象徴」のような気もする。

 

 

朝から晩まで、休まずに働くのが当たり前って、それほんと?

 

常識なんてものは、けっきょく自分の思い込みでしかなくて

何を採用するか決めているのは、自分自身なんだ。

 

あの、あっけらかんとしたコミュニケーションを

今のわたしは、もうちょっと見習おうかしらと思ってるの。

 

  

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