いのちよおどれ。

自分を知るとは、いのちをしること。つまり、真理を知ること。

人はやられたら、やり返したくなるもの。

 

やられたら、やり返す。 

 

それは、無意識にプログラミングされている。 

 

昔、仲良しの友だちにひどい八つ当たりをしてしまったことがある。

 

それはそれは、後味の悪い経験で

当然の流れで、それからその人たちとは疎遠になった。 

 

何年かぶりに、そのうちの一人に逢って話した。

 

これまで、逢う機会があっても目も合わせなかった子が 

意を決したように、わたしに近づいてきて言った。

 

今さらかもしれんけど

あの時のゆきちゃんの態度には本当に腹が立った!

 

なんで理不尽に、いきなり怒りをぶつけられなきゃいけないの!

もっとわたしたちを励ましなさいよ!応援しなさいよ!

 

って思ったけど、

あの時はとにかく場をなごませようと笑ってて…

でもホントに許せなくて、ずっとずーっと根に持ってた。 

 

そんな自分が、ほんとうにイヤだった。

  

人は、誰かにやられたことを、やり返したくなる生き物だ。

 

ずっと怒りを禁止して、いい子ちゃんでいた彼女にとって

わたしに向かって怒りを表現するのは、

それ自体、とても勇気がいったと思う。 

 

けど、面と向かって言われなくても、彼女の怒りは十分に伝わっていた。 

 

まぁ。そりゃ怒ってもしょうがない。

完全なる八つ当たりで、その場面で悪いのは明らかにわたしだったから。 

 

わたしは言った。 

 

うん、怒ってるの知ってたよ。

 

当時は自分でもわからなかったけど、振り返ると

あの頃のわたしはそうとう追い込まれてたんだと思う。 

それで、気のおけない人たちの前で、

自分の余裕のなさをぶちまけてしまったんだと思う。

 

自分でも、あーあーやっちまったぜ!と思ったけど

一度フタがあくと、もう暴言を止められなかった。

謝ったところで許してもらえないと思って、自分から距離をおいた。

 

それが、自分のやらかしたことに対する責任だと思った。 

 

振り返ってみてわかることだけど、これは実は

幼いころ、父が家族にとっていた態度と全く同じだった。

 

ずっと、理不尽に暴れる父に腹を立て、軽蔑し

ぜったいに、あんな風にはならない!とタブー視してたけど

結局わたしは、父と同じことをしでかしたんだ。

 

そして、身近な存在へのその甘えを許してもらった。

時間はかかったけど、ごめんねと言えた。 

 

f:id:hugheart:20160611095935j:plain

 

人はやられたら、やり返したくなるもの。

 

この痛みを、この傷を

お願いだから、誰かわかってよ!

 

とでもいうように

 

かつて誰かに傷つけられたのと同じように

わかってくれそうな人に、傷をぶつけてしまうことがある。 

 

それも無意識に、ぶつけても大丈夫そうな人や場面を選ぶ。

 

正当化するわけじゃないけど、

悲しいかな、そんなことをしてしまう瞬間が人にはある。

 

けど、そんな完璧じゃない自分を許そうとしたとき

かつての誰かの心情を理解すると同時に、思い出す。 

 

あんなひどいことを、やらかしてしまったわたしを

 

それでも許してくれた人

それでも近づいてきてくれた人

それでも思いを伝えてくれた人

それでも愛してくれた人

 

そんな存在が、たしかにいるということを。

 

人はやられたら、やり返したくなるもの。 

よくも、悪くも。 

 

それでも人に愛されたわたしは、

それでも人を愛していきたいなと思う。

 

そんな風に、プログラミングされていく。

 

人は愛されたように、人を愛するんだ。