いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

愛の泉の物語

 

ひとのこころには、愛の泉がある。 

 

あの人にはあって、この人にはない。

なんてことはなくて、誰のこころにもある。   

  

 

見たわけじゃないけど、わたしはなぜか

それが真実だと知っている。

 

 

尽きせぬ泉からは、いつもいつも愛が湧き出ている。 

 

それをどこかで押しとどめてしまうもの

それが、ひとを苦しめる。 

 

 

止めてしまう理由はいろいろある。

 

多くは、自分が愛したいように愛せなかったことや

愛してほしいように愛してもらえなかったことがあって 

もういやになっちゃって、フタをしちゃったんだ。 

 

その経験も含めて、ひとには人生で体験したいことがある。

 

 

わたしも、ずっとそうだったんだけど

かわいたのどを、こころを潤したいのに

自分の内側に泉があるなんて知らなくて

ずっとずっと、外ばかり探している。 

 

飢えているときは、泥水でも飲んでしまう。

ほんとうは、のどを鳴らしてごくごくと美味しい水を飲みたいのに

なぜか、それはいけないことのような気がしてしまったり

素直にほしいと言えなくて、奪おうとしてしまうこともある。 

 

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あるとき、美しい泉をもった人に出逢う。 

 

そこにはよどみもなく、混乱もない。 

 

どうして?と尋ねると、その人は静かにこう言った。 

 

 

この泉は、僕の内側にあるけれども

僕だけのものではないんだ。 

 

大いなる源につながっていて、僕がすることは

自分のところで水を汚さないこと

この流れを自分のところで止めないこと

ただそれだけなんだ。

 

 

愛の泉に触れた人は、愛そのものになる。

 

だから僕はいつも、愛そのもので生きると決めているんだ。 

まぁ、よく忘れてしまうんだけどね(笑) 

 

 

そのすがすがしい様子にすっかり魅了されて、

前のめりでわたしは尋ねる。

 

ねぇ。どうしたら、そんな風になれるの?

わたしも、そんな風に生きたいわ。 

 

 

そのひとは、やっぱり静かに言った。

 

 

キミの泉のフタを外せるのは、キミだけなんだ。

そこから愛があふれてくるのが、僕には見えるよ。

そこにある泉をただ見続けるのが、 僕の役目だ。 

 

 

愛の泉は、見つけてもらって大喜びしている。

こんこんと湧きでる愛は、尽きることがない。

 

どういうわけか、自分ひとりでは見つけにくくなっていて

誰かと出逢うことで見つかるように、プログラミングされているらしい。 

  

だとしたら、愛の泉のフタは、にっくき悪役じゃなくて

まるでキューピッドみたいじゃない? 

 

そして、フタをあけたひとは、愛そのものとして生きていく。 

その愛に触れた人は、愛となり、愛が延長していく。

 

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この物語は、遠い昔のおとぎ話じゃないってことに

気づいた人から、愛の泉のフタは開いていく。 

 

 

 

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