いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

あなたのことばは外に出たがっている。

 

「娘が進路に悩んでいるから、相談に乗ってやってくれないか。

自分が何がやりたいのか、わからないらしいんだ。」

 

兄貴から連絡があった。 

 

 

お決まりの反応だけど、赤ちゃんだったあの娘が

もう大学生になるなんて、感慨深さもひとしお。 

 

もちろん。いつでも電話ちょうだい!

 

そう言って、姪っ子としばらく話をした。

 

 

彼女は、身内のわたしからひいき目にみても

恵まれて育ったお嬢様だ。

 

やさしく穏やかで、ほわんとしたいい子だけど

すべてお膳立てされている環境で育ってきたせいか

 

Tちゃんはどうしたいの?と尋ねても

「うーん・・・なんでもいい」

と、自分の意見を言わないのが気になってはいた。

 

小学生くらいまでは、遊びに行くと彼女の部屋に泊めてもらい

お布団に入ってからも夜通しずーっとおしゃべりしてた。

 

日に日に成長していく彼女と、表面的な世間話じゃなくて

自分について語り合うのは、ほんとうに久しぶりのことだった。

 

 

話していて、気づいたことがある。 

 

彼女は、「何がやりたいかわからない」わけじゃない。 

 

「大人たちが期待している答え」

がわからなくて、答えられないんだ。

 

そして、自分が感じていることを表現する機会が

これまであまりなかったので、慣れてないだけなんだ。

 

 

Tちゃん。あのね。

 

大人たちの「何がやりたいんだ?」ってのを翻訳するとね。 

 

「Tちゃんは、何が好きで、何が嫌いなの?

どんなきっかけで、それに興味を持ったの?」 

 

ってことなんだよ。

 

あなたがこれまで、どんな経験をしてきたのか、 

その経験から、何を感じたかを聞きたいの。 

それは、あなたしか知らないことだから。 

 

でね。その思いの深さが伝わったとき

夢は現実に向かって動き出すんだよ。

 

 

彼女は帰国子女で、わたしから見ても羨ましくなるような

さまざまな経験をしてきている。

 

けど、小6で日本に帰ってきて、周囲に合わせようとした時期に 

その豊かな経験を言語化する機会を逸してしまったのだと思う。 

 

楽しかった思い出、輝いていた日々として胸に残ってはいる。 

 

でも、表現されなかったことで、その体験は、その価値は

誰とも共有されずに眠ってしまっているんだ。

 

 

Tちゃん、あのね。

これからの人生でも、自分のことを表現しなければならない

そんな場面がたくさんあるよ。

 

上手に言えなくてもいい。

あなたがどう感じたかは、あなたにしかわからない。

ひとは、あなたのことを知りたいの。 

 

だから、練習だと思って、これまでの経験を振り返って

どんなことを感じたか、ノートに書いてみるといいよ。

 

わからないわからないと言っていた彼女の声に、チカラが入った。

なんらかの希望の光がさしこんだようだ。 

 

「うん。やってみる。」

 

ひとは本来、自分を表現したい生きものだ。

 

今はまだ眠っていることばたちも

かつて押し込められたきゅうくつな場所から

外に出たがっているに違いない。 

 

自分がどれほど素晴らしい宝物に恵まれているか

少しでも、気づくきっかけになるといいなぁ。 

 

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がんばれ!!

ゆきゆきはこころから応援してるよ♡

 

  

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