いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

何色にも染まれる自分を愛せるようになったのは

 

会うたびに、雰囲気が違うねと言われる。 

 

「よく言われるんですよ~」

と笑顔で答えながらも 

 

内心、けっ!と思ってた自分がいた(笑)。 

 

  

 

そんな、一度や二度会ったくらいで

わたしのことわかった風に思わないでほしいと。

 

わたしに限らず、人ってのは多面的で

自分すらもまだ見知らぬ顔を持っていて

宇宙レベルに奥深い存在なんだと。

 

表面的な印象だけで

わたしを決めつけないでほしいと

内心、やたらと反発してた。

 

子どものころから、ずっとそう思ってたなぁ・・・(苦笑)。

 

 

とはいえ、わたしも人に合わせすぎて

しんどかった時代もかなり長い。

 

その多面体の自分の、今はどのあたりを見せればいいのか

この人この場面ならどこまで見せてもOKかとかを

いちいち頭で考えてたから、へとへとになった。

 

 

そんなの、はっきり言ってダダ漏れなんだから

自然にまかせておけばよかったのにね。

 

その頃のわたしは、自分がその場のエネルギーに

同調してしまう性質が強いことを自覚してなかったので 

 

変わらない自分、ぶれない自分、一貫した自分を

目指しては、挫折する日々だった。

 

そうじゃない。

 

わたしは、固定した色があるわけじゃなくて

その時々で、相手によって、変幻自在に色が変わるだけだ。

 

ていうか、みんなそうなんじゃないの? 

 

互いに影響しあって

多色多面のグラデーションで生きてるでしょ?

 

って思えるようになってから

 

 

真っ白だよね

透明でクリアーだね

逢うたびに違うね

 

と言ってもらえることが

今はすごくうれしい。

 

そう、そうなの!

次の瞬間は何色になってるかわからない 

その不確定さこそが、わたしだわって思うから

 

いろんな印象をきいても、 

へーそうなんだーと思うだけで

変な反発心は芽生えなくなった。 

 

 

 

この「自分色」や「染まる感」については、この方のブログが秀逸。

おんなという生き物をもっと知りたいなら、ぜひ読んでほしい♡

sexrecipe.hatenablog.com

 

 

そう思えるようになったのは、なんで?

 

と問われると、まぁ月並みだけど

 

ずっといい顔ばかりして、隠し続けてきた自分を

ある時、さらけ出してしまったからだと思う。 

 

こんなみっともない姿を見られてしまって

あーもう、人生終わったなと思ったけど 

ぐちゃぐちゃなまんま、振り絞るように 

 

こんなわたしも、愛してほしい。 

 

そう言えた瞬間に、何かが大きく変わった。 

 

 

すごく不思議なんだけど、相手もおんなじ傷をもっていて 

わたしが死んでも見せたくないと思っていた醜い姿を 

黙って静かに受け入れてくれた。

 

受け入れるってのは、その醜さを好きになるとかじゃなくて 

 

そうまでしても、

あなたとは本音で話したいんだ

 

って思いを

 

 

そうか、そうなんだね

 

って、ただ認めてくれたってこと。

 

 

何ひとつ隠さず、というか隠せず、

ほんとうに素っ裸のこころで思いを交わしたのは

もしかしたら初めてだったかもしれない。 

 

 

人間関係はすべて、1対1 かける人数だ。

 

だから

目の前のたった一人と

どのくらい本音で向き合えるか。

 

それがすべてだと思う。

 

まぁ、わたしも人生をかけて特訓中だけどね。

 

 

こちらがハラをくくると、本気で受け止めてくれる人がいる。 

 

ただただ受けとめてもらう、という体験が

人にはやっぱり必要だと、わたしは思うし 

 

本気を引き出してくれる出逢いには、感謝しかない。 

 

 

わたしは今、この肉体には収まりきれない 

多重人格なまでの自分が好きだ。

 

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一生変化し続ける自分を、存分に楽しもうと思う。

 

 

 

 

 

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