いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

こころの自由を思い出す

 

私にできるかどうかわからない… 

 

人が前に進もうとするとき

何かを始めようとするとき

よく聞く言葉です。

 

 

人がその言葉を発するとき…

もしかしたら、過去に何かチャレンジしたけれど

うまくいかなかった記憶がうずいているのかもしれません。

 

漠然とした不安にとらわれてしまうのかもしれません。

 

だから、わかるなーという気持ちと同時に

わたしはいつも思うのです。

 

 

新しいことにチャレンジするんだもん。

そりゃわからんやろー!

 

 

未来はわからなくて当たり前なんだから

それは別に問題ではないってことなんです。

 

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不安になるのは、珍しいことじゃないけど 

この社会には

不安を異常に増幅させるような仕組みもあって

そこにハマってしまうと

人は、本来の自分のチカラを発揮できません。 

 

 

わたしは、こころの学びを進めるうちに

不思議でしょうがないことがありました。 

 

 

こんなにたくさんの人が心理学や自己啓発

幸せになる方法を学んでいるというのに

 

学んだことを活かそうとすると

今すでにある職業に、自分を当てはめようとしてしまう。

 

わたしも、ずっとそうでした。

やりたい→やり方がわからない→自信なくて止まる

 

教えるほうも、やり方なんてわかってないのに

どこにもない正解を求めてぐるぐるする感じ。

 

  

今、自分が生きている社会構造を

無視して生きていくことってできなくて

 

 

こんなに学んできたのに・・・

理想の生き方を実践したいのに・・・

 

わたしも含めて、周りをぐるりと見渡しても 

 

こころは全然自由になってないじゃんか! 

 

本来は、心の学びって

もっとも応用のきく分野のはずなのに!! 

 

と、悶々としたりもしてました。

 

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けどね。今のわたしはというと

以前とは、感覚がまるで違うのです。 

 

それはやっぱり、人との出逢いが大きいです。 

 

用意された答えなんてない

だから創っていくしかない

 

新しい社会を生きようとする人たち

特に若い世代が、それぞれの価値観を大切に

生きようと模索している。 

 

そのムーブメントは、わたしにとって

とても大きな希望になりました。

 

 

ある時期から、わたしは思うようになりました。

 

これからの社会を生きていくには

いわゆる重鎮に教えを乞うだけではなく

 

まったく新しい感性に学ぶことで

経験と発想の橋渡しをしながら

ともに創っていく必要があるんじゃないかな? 

 

 

そう感じたときに

自分の立ち位置とやるべきことが

見えてきたような気がしました。

 

 

できるかどうかわからないなんて

言ってる段じゃないっていう意味

なんとなく、伝わったでしょうか? 

 

とても不思議なことだけど 

 

「自分の人生を歩むんだ」 

 

そう意識すればするほど

こころはもともと自由だったんだ!

って感覚を思い出すことができるのです。 

 

そして、自由であればあるほど

互いに自立したつながりも増えてくるのです。

 

一人一人がそれを思い出して生きるサポートを 

わたしはこれからもやっていきます。 

   

 

わたしが深く共感したこころざし 

みなさんにもシェアしますね。

 

 

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