いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

こころの中には、宝物しかない。

 

最近、長々とした文章が読めなくて・・・ 

 

のわりには、ブログがいまいち簡潔じゃないんだけど(笑) 

 

 

伝えたいと思ってたことが、ここに書いてあった。

 

すごいなぁ。 

この人の表現の潔さが、わたしは好き。

sexrecipe.hatenablog.com

  

わたしが個人セッションをするときは

話を聞きながら、要点をマッピングしていく。

 

今、今、今!に集中するために、

書き留めることで、常にまっさらな自分で向き合う。 

 

基本的に、その人から出た言葉しか記さない。 

 

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ぶわーっと出してもらって、ちょっと落ち着いてから見てみると

最初のほうに、もう答えが出てたりするんだけど 

 

 

アタマの中でぐるぐるして一人悶々としてる間は、

すでにある答えにも気づけないし、

とにかくいろんなものが絡まって重くなってて

冷静に現実を見る視点を持ってなかったりもする。 

 

 

だから、わたしがやってることは

こころの押入れ整理みたいなもんだと思ってる。

 

 

その時は取り扱い不可!と判断して押入れに突っこんだけど

放置してればいつか消えてくれるってわけでもないし

そもそも、捨てられないから押入れに突っこんだわけで

 

とにかく一旦全部ぶちまけてから

 

今の自分にとって、

要るか要らないかを冷静に見る

 

という機会が必要になる。

 

 

そのぐっちゃぐちゃの押入れを人に見せるのって

そりゃあまぁ勇気いるんだけど 

 

 

実際は人の手を借りることで、驚くほど客観的に整理できる。 

 

だって、人から見たら、一目瞭然なんだもの。 

 

 

かつての宝物かもしれないけど

今はもう、それ要らないよね? 

 

 

って奴が、こころの大半を占領してたりするとき 

 

 

これはわたしの好みの問題なんだけど

 

忘れてしまいたい思い出も、人生の大切なひとかけらであって

決して粗大ごみのようには扱いたくなくて 

 

それくらい大切だったから、生きるために重要だったから

こころのスペースを占めていたんだという事実を味わってもらう。  

 

 

その経験に感謝することができて初めて、卒業できるんだ。   

   

 

みんな、大きな勘違いしてる。

 

こころの中にはね

宝物しかないんだよ。

 

宝物を踏みにじられたから

許せないほど憤ったり

悲しかったりするだけ。 

 

もしも宝物が存在しなければ

そんな気持ちも起きないの。 

 

 

だから、みんなが直視するのを怖がってるドロドロした思いは 

宝物にくっついたホコリみたいなもの。

  

年季が入りすぎて、化石みたいになってることもあるけど(笑)

  

 

宝物は、見つけられるのをずっと待っている。

 

わたしは、それを知っている。

 

 

 

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