寄り添うってどういうこと?
寄り添うって、どういうことなんだろう?
そもそも、わたしが心理学に出逢ったのは10年ほど前。
当時好きだった人が、仕事のことで深刻に悩んでいるようで
陽気な彼が急にふさぎこんでしまった。
元気づけようと思って、わたしなりにいろいろ投げかけるけど
やればやるほど彼は殻にこもっていくように見え、途方に暮れた。
わたしは、そんな人にどう接したらいいかを知りたくて
WEBでこころの仕組みを検索し、隅から隅まで記事を読みあさり
わたしにできることを実践していった。
そのおかげで、彼はこころを開いてくれました。
めでたしめでたし。
とはいかなかったんだけど・・・
こころの仕組みの奥深さに、わたしは夢中になって
気がつくと、こころの探求を続けていた。
独学での限界を感じ、本格的に学びだしてから7年が過ぎた。
今思うと、だけど
いつもいつも、相手の反応を細やかにみて
彼の一挙手一投足に、一喜一憂するわたしの存在は
思いやり深い彼にとって、無下にもできないけど
応えるこころの余裕もなくて、ありがた迷惑だったろうなと思う。
今のわたしなら、もっともっと
彼をほっといてあげるなぁ、とも思う。
それでも、正解などない中で、模索しながら
精いっぱいの愛で関わり続けたわたしの想いは
彼にも伝わっていたと思う。
とても不思議だけど、あのほろ苦い経験が
わたしをこころの世界へと導びいてくれた。
昨日の記事で、こんなことを書いた。
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人から相談されたとき
目の前の人が苦しんでいるとき
誰かを助けたいと思ったとき
わたしが大切にしているあり方は
① わたしのままで、寄り添う
② 悩みや問題=その人自身ではない!
「状況」と「本質」を切り分ける
③ そのうえで、本質を見続ける
*********************
ここに書いた、「わたしのままで、寄り添う」というのは
その出来事を筆頭とする、これまでの実体験からきている。
わたしは、大切な人が目の前でふさぎこんでいる姿に
おろおろとうろたえ、常軌を逸してしまい
いつしか違う自分になろうとしていた。
ものわかりのいい自分
いつもにこやかで、決して怒らない自分
マリアさまのような器の大きい自分
ほんとうはわたしだって寂しかったのに
猫のように気ままに甘えていたかったのに
一生懸命背伸びして、完璧な女性をめざして…
そして、自分にも巧妙に隠していたけど
こころの奥の奥の奥では、無意識に
ほら、ね。
わたしいい子でしょ?
こんなにいい子にしてたら、
わたしのこと、愛してくれるよね?
という、交換条件を突き付けていたことに
気づいたときは、愕然としてしまった。
寄り添い、受け入れるどころか
無意識に、相手を変えようとしていたの。
あいたたた・・・・・(>_<)
でもね。いいのよ。
相手を大切にしようとする想いに、正解なんてないもの。
あなたを思っているよ。
そんなやさしい気持ちから生まれた行動を
間違っていたと責める必要なんてない。
ただ、そんな経験を重ねると
もう少し広い視野で、もう少し深いところで
目の前の人がほんとうに望んでることが見えてくる。
みて、みて!わたしを見て!
って無言のアピールじゃなくて
この人が見てるのはなんだろう?
って思いで、おだやかに隣にいることができる。
ほかの誰でもない、わたしのままで。
愛されるために、ではなくて
ただただ純粋に、知りたいから。
あなたと同じ景色を見てみたいから。
それが、寄り添うってことなんじゃないかしら?と
嫌になるほど失敗を重ねてきた、今のわたしは思うのです。
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