美しいものほど、誰のものでもない。
ある時期から、「所有すること」にそれほど興味がわかなくなった。
若いころは、すきなものをコレクションしてみたり
「自分のお気に入り」をずらりと並べることに喜びを感じ
それはそれで、必要な体験だったんだけど
なんか、もういいや。
と思った瞬間があった。
例えば、ストールは今でも好きで、つい買ってしまうけど
首が何本もあるわけでもないし、使い勝手がよくて
出番が多い子は、だいたい決まってる。
着物もだいすきだし、陶芸家の器なんかもだいすきだけど、
これはもう凝りだすとキリがない、危険な世界。
それで、手元に置くのは、日常的に使えて
こころやカラダが喜ぶものと決めた。
たいせつなものを、たいせつにするために。
いろんなものを手に入れたり、壊したり、なくしたりしながら
いつも自分のそばに置いておきたいモノはわずかだと思うようになった。
それよりも、わたしは美しい瞬間を重ねたい。
それを、わかちあいたい。
たいせつなひとたちと。
生きているって 美しい瞬間に出逢うこと #空も雲も生きている #誰のものでもない #美しい瞬間
今は、
あの美術館に、わたしのお気に入りの作品を預かってもらってる
というご都合主義な感覚でいられる。
息をのむほど美しいものほど、誰のものでもない。
この肉体だって、わたしのものではなくて
生きている間に神さまから借りた大切な器だ。
なにかをくっつけていくんじゃなくて
その器を磨いて、いのちを活かしていけばいい。
地球が今も魅せてくれている、すばらしい瞬間を
見て、聞いて、感じた体験こそが、あなたの宝物だ。
持っていけるのは、それだけだと思う。
「所有」から「シェア」へ
そんな時代は、もう来ていると思う。