いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

あなたの中の美しさは、今も外に出たがっている。

 

大切なことを伝えようとすればするほど 

 

ことばの不自由さを感じる。 

 

 

思いを共有するために使ってるはずなのに

 

ことばの定義や捉え方は実に人それぞれだし

ことばにした瞬間に、嘘くさく感じてしまって

とても難しいなぁと思う。 

  

 

だったら!と、絵を描こうとするんだけど

これがまた、ぜんぜん思うように描けない!! 

 

 

幸か不幸か、うちには彫刻家の父親がいて

まぁ悪気はなかったんだろうけど

「おまえ、へたくそだなー」と言われては落ち込んだ。

 

もう、大人げないよ、お父さん(笑)!

 

 

父は、祖父に大反対され、勘当されてもなお

自力で美術大学まで通い、芸術の道を生きた人だ。

だから、ほんとうに才能も根性もあると思う。 

 

映画の看板を描くアルバイトや、焼鳥屋のメニューを書いたりと

お金になることなら、なんでもやったという。

デッサンの時に木炭を消すための食パンをかじりながら

飢えをしのいだという話は、イヤになるほど聞かされた。

 

そういう理由で、「見たくもない!」と父が頑なに言うので

子どものころ、我が家ではパンが食べられなかった。 

もう、まったく大人げない人だ。 

 

 

わたしの思う、父の最大の才能は

「芸術では食っていけない」が定説のその時代に

それでも情熱の炎を燃やし続けたこと。

 

「教員にだけは、なりたくなかった」

そう葛藤しながらも、彫刻を教えることを選び

5人の子どもを育ててくれた。

 

 

そんな人と比べられたら、そりゃかなわないけど

もうちょっと、子どもの絵もほめてほしかったよなぁ。 

今は素直に、そう思う。

 

 

わたしは、自分の表現はへたくそなんだと思い込んで

思いのままに自由に表現すること自体を

自らあきらめてしまった時代が長くあるけど 

 

表現しないからといって、感じてないわけじゃない。 

へたくそだからと、しまいこんでしまったものを

表に出すのは、そりゃぁ勇気がいる。 

 

 

それでも、わたしはわたしを表現して生きていくんだと決めてから、

はっと気づいたことがある。 

 

わたしはいつだって、美しいものを追っていた。

 

理由は単純に、

美しいものがすきだから。 

 

長い時間をかけてインプットし続けた

「わたしの感じる美しさ」は、アウトプットするときに

どうしたって、それしか出てきようがない。

  

役に立つかどうか、成果につながるかどうかばかりが

重視される世の中においても

 

コマーシャリズムにのっとった、作られた美しさの基準を超えて 

「自分のこころが震える美しさを選ぶこと」

言ってみれば、オリジナルなセンスを磨くことは

一朝一夕にできることではない。

 

 

美しい世界に触れる瞬間を重ねること。 

 

 

それがどれほど価値あることで、贅沢なことだったのか

身に沁みてわかるようになったのは、最近のことだ。 

 

わたしのルーツから授かった感性という宝物を活かして

美しい世界を創っていきたい。今ここから。

  

そんな静かな情熱を、きのうまた、自分自身の中に見出した。 

 

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ことばを連ねるほど、本質からずれていくような気がして

生き方そのもので魅せられるような存在でありたいなぁと

わたしは今、こころから思うのです。

 

 

美しい人は、生きている。 

 

hugheart.hatenablog.com

 

 あなたの中の美しさは、今も外に出たがっている。 

 

 

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