いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

どれだけあげても、なくならないもの。

 

わたしの心理学の師匠が、以前教えてくれたこと。 

 

 

こころの世界には、法則がある。

 

物質界の法則とは反対で、愛はあげてもなくならない。

与えれば与えるほど、雪だるま式に増えるんだ。

出し惜しみしてると、どんどん減っていく。

 

だから、自分がほしいものをあげるんだよ。   

 

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はじめて聞いたときは、正直まるでピンときてなかったけど

 

何年もかけて、実体験から

そうか。そういう意味だったのか!と合点してきた。

 

 

ひとはいつも、何かを発している。

何もしていなくても、黙ってそこにいるだけでも。

 

 

愛を出し惜しみしてるときってのは、ざっくりいうと

「損したくない」エネルギーを発してる。

 

そこに反応した相手も「こっちだって損したくないよ!」

という思いが発動して、ケチケチした奪い合いの循環が起こる。 

「誰が損するか?」にフォーカスが当たってるから

いっそ何もしないほうがいいと、閉じてしまう人も多い。

 

結果として、関わった人が得るものはとても乏しく

せいぜい「あぁ損しなくてよかった。」で終わる。

 

 

愛が循環しているときは、その逆で

相手のよろこびにフォーカスしてるんだけど

実は、循環するまでにタイムラグがあることが多い。

 

これ、地球の特徴ね(^^)

 

そして、その一時的にとどこおる体験にこそ学びがある。 

 

だから、ここでものすごく大事なポイントがあって

自分を置き去りにしないってこと。 

 

今この瞬間、自分が感じていることを大切にする。

 

 

もとはと言えば、目の前のひとが喜んでくれるのが嬉しくて

そんなに喜んでくれるならば!とがんばっちゃって。

 

けど、途中で感じる。

うーん。ちょっと、きついな・・・。  

 

ここを、ごまかさないでちゃんと感じること。

 

その奥に、ほんとの本音が隠れているから。

 

 

はじめは純粋な気持ちだったのに、期待に応えようと

無理したり、義務感でやってる自分に気づいたときは

「自分をちゃんと数に入れてる?」って、軌道修正のサイン。

 

 

誰も、あなたに無理をさせたくなんてない。

 

「自分の幸せ」と「みんなの幸せ」が

重なりあうところで生きてくんだ。

 

そうこころに決めるだけ。

 

 

師匠の言った「自分がほしいものをあげるんだよ」ってのは、そういうこと。

 

 

だいすきな人に、無理させたくないでしょ?

のびのびと幸せに生きてほしいでしょ?

 

 

だったら、まずは自分のあり方を

その状態に意識を合わせるの。

 

それだけで、発するものは一瞬で変わる。

あなたが、みんなの幸せの中心になる。 

 

それは、どれだけあげてもなくならないんだ。 

 

あ、今ふと思ったんだけど。  


「美しさ」も、誰にも奪うことができなくて 

あげてもなくならないものだね。

  

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 素敵な週末を♡ 

 

 

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