大人の好きなことばたち~坂爪語録より
そうそう。坂爪さんのお話会に行ったんだ。
素晴らしいことを言っているはずなのに、何も胸に響いてこない言葉がある。多分、言葉はその人の生き様と密接に繋がっていて、言葉に生き方が追いついていない時、聞くひとの心には何も届かない。自分を大きく見せるでもなく、自分を小さく見せるでもなく、ただ、等身大の言葉で話すことだ。
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月7日
「ことばに生き方が追いついていない」という表現が、ずんと響く。
わたしは基本的に、みんな自分の好きなように表現すれば
それでいいんじゃないのと思ってる。
とはいえ
言ってることとやってることがズレてるのを感じると
なんだかなぁと思ってしまう自分がいるから
むつかしいな、とは思いつつも
できるだけ、自分のこころに沿ったことばを発したい。
今、自分が感じている温度とか手ざわりとか
ニュアンスというか風合いみたいなものを共有したくて
かつてはまるで諦めてしまってた表現を、今、こころみている。
昨日、わたしがこころに残ったのは、インドに住んでいる女性の
子どもさんと遊んでるときに気づいたという話。
大人の好きなことば、よく使うことばってのがあって
「成長」
「不安」
「勇気」
「転機」
子どもたちは、まさに「成長」し続けてるわけで
もちろん「不安」だって感じてるだろうし
実際に動くときには「勇気」を出してるんだろうけど
これらの言葉を、子どもたち自身はあまり使わない。
「転機」なんてのも、そのときは意識してるわけじゃなくて
目の前にきたことをただ体験してるだけで
ほんとうはいつだって転機だらけであって
このできごとが転機となりました!なんてのは
無理やり後づけでしか言えないんじゃないだろうかって話。
そうよね。
なんか、誰かに「説明」するときとか、もっというと
「説得」しようとしたときに使う言葉なのかもしれない。
このエピソードから、暗に
「誰かに説明するために、生きてるわけじゃない」
みたいなニュアンスを、わたしは勝手に感じていた。
いろんな人が質問をするんだけど、
坂爪さんはその質問に直に答えるというよりも
「どうして、そこが気になるんですか?」
と静かに聞き返すことで、質問した人が自分で勝手に
気づいていく瞬間が幾度も見られた。
それは、いわゆるコーチングの手法とかとは似て非なるもので、
この人はきっと純粋に、そこが不思議だから聞いてるんだろうな
って感じられるやりとりだった。
「触媒でありたい。」
坂爪さんがそう言ったので、ちょっとびっくりした。
わたしは、よく「触媒みたいだね」と言われるから。
たったそれだけのことなんだけど、なんとなく
あぁやっぱり、これでいいんだな。って腑に落ちた瞬間で
そこに変な作為がないことで、余計に静かに沁み入った。
わたしは、特に質問は思い浮かばなかったので
感じたことをつらつらと伝えてみた。
以前感じた「インドネシア人みたい」という印象がさらに強まって
これまでの日々に感じた土台の上に立っているんだなぁと感じたことなど。
坂爪さんは、正座して目を見開いてうんうんと聞いていた。
自分で「どうにかしなきゃ!」と肩肘を張ってしまうこともあるけれど、人生の大半は「【自分の力を超えた所で】どうにかなってしまう」ものなのだと思う。人生を信頼して身を委ねていけば、きっと、日々は幾つもの輝きに溢れた瞬間を見せてくれる。 pic.twitter.com/cuxsfLnnHp
— 坂爪圭吾 (@KeigoSakatsume) 2016年6月27日
それにしても、これだけの人を触発してしまうとは!
ことばのチカラって、やっぱりパワフルでおもしろいと思う。
書ききってしまえば、表現しきってしまえば
Fin.となり、更新はしていないだろう。
推敲もしないし、自分の文章を読み返しもしない。とも言っていたなぁ。
このひとの正直さが、わたしはすきだ。
人生は続く。