いのちよおどれ。

あらたな視点を人生に取り入れる 透明な星よみをやっています。

ひかることばを届けたい。

 

ずいぶん昔の話だけど 

ことばが出てこなくなったことがある。 

 

言いたいのに、言おうとするのに

どうにも、発話できない。 

 

病気かもしれない、と不安になりつつ

記憶があいまいで、誰かに相談したかも覚えてないけど 

軽い症状だったし、数週間でもとに戻ったはず。 

 

ただ、このまましゃべれなくなるかもという恐怖と 

いっそ、しゃべれなくたっていいじゃないかというような

投げやりさが入り混じった感覚は覚えている。

 

 

今、そのころの自分を振り返って思う。 

 

しゃべれない。わけじゃなくて

 

なにも、しゃべりたくない。

 

って、身体がストライキを起こしたんだなって。

 

 

それは、わたしの人生においても

いちばん悲しかったできごとがあって

ほんとうに、真っ暗な日々だった。 

 

思春期の繊細すぎるわたしにとっては、

あまりにも圧倒的な感情で、感じていることを

とても言語化なんてできなかったんだなって。 

 

 

一時は完全に分離して、表現することすら

あきらめてしまったこの感覚を取り戻すのに

わたしは、ずいぶんと時間がかかってしまった。   

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けど、だからこそ。 

あの真っ暗な毎日の中で、

わたしは小さな光を求め続けていた。

 

 

下を向いて泣いているときには、何も見えず

絶望して目を閉じているときも、当然まっくらだった。

 

それでも涙を拭いて、顔をあげたとき

その先にかすかに感じた一筋の光を頼りに

一歩また一歩と進んできたように思う。 

 

その過程では、ぐっとのみこんだ悲しみを

ぶちまけるように吐き出す場面もあったし

差し伸べてくれた手に噛みついたことだってあって

お世辞にも、きれいなだけの道のりではなかった。

 

 

暗闇にいたことのある人ほど、繊細に光を感じとることができる。

 

街灯りなどないほうが、星がきれいに見えるように。

  

 

今は誰だって簡単に表現できる時代だし

刺激的な表現のほうが注目もされるだろうし

それは好みの問題なんだけど

 

たとえば映画を作るならば

たとえばお芝居をするならば

自分でその脚本を書くのだとしたら 

 

日々のささやかな暮らしの中に

やさしい光を感じられるような物語を描きたい。

 

 

ネオンサインみたいなびかびかの派手さや 

目が痛くなるような蛍光灯の光じゃなくて

ドラマティックな舞台演出なんてなくても

ほっとするやさしい灯りでありたいな。

 

わたしは、そういうのがすきなんだ。

 

 

いい歳の大人になった今、思う。 

 

あの頃のわたしが、身体をはって

かたくななまでに守ってきたこの純粋さこそが

わたしの生きる糧になってるんだよなぁって。

 

だからかな。 

 

毎日書いているこのことばたちが

まっくらやみにひとりぼっちでいる誰かの純粋さを照らす 

小さな小さなひかりになれたらいいなぁと思う。

 

  

 

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