いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

ほんものに出逢うということ

 

友人に、小学校の先生がいる。 

 

いつも陶芸家みたいな恰好をしてて

暑苦しいくらいに、情熱的なひと。 

 

最初、あまりの温度差に、わたしはちょっと引いた(笑)。

 

 

けど、なんというか。

とにかくまっすぐ純粋な男で、憎めない。

 

 

その人は、いつもいつも言っている。 

 

「子供たちには、できるだけ本物に触れる機会を与えたい。

 

本物のもつチカラは凄い。

日常的に本物に触れていたら、

なにか違うものに出会ったとき、すぐにわかる。

 

自分で見極めるチカラがつく。」 

 

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彼は四半世紀にわたる教師人生の中で、

実にたくさんの子どもたちの成長に関わっている。  

 

 

クラッシックバレエ、オーケストラ、演劇、神楽を体験したり

自然、芸術、人生哲学、さまざまな分野において

これぞ本物!と思った人には、できるだけ学校に講演に来てもらう。

 

 

生身のひとやものや空間(しかも、本物!)に

実際に触れて体感することの大切さを知っているから、

自分が何かを学びに行くときは、授業を自習にしてでも時間を作り

自ら足を運び、自分の目で確かめるのだそうだ。

 

そして、自分の学びを必ず授業に還元する。

 

  

偶然にも、彼の卒業生が進路に迷っているときに

話す機会があったんだけど、その信頼感はものすごかった。

小学校の先生と、こんなにも深いつながりが続いていることが

ちょっと羨ましいほどだった。

 

 

卒業生には、こんな子たちもいるんだって。 

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ほんものに出逢うことが、こういう感性を育てるんだよって

彼らは自分の生き方そのもので見せてくれる。

 

 

 本当にありがたいことに、彫刻家だったわたしの父は

とことん、自分の「審美眼」にこだわるひとだった。

 

我が家では、「子ども向けのもの」は一切用意されなかった。

 

食事だって、オムライスとかじゃなくてシブイ和食だったし 

家族で出かけるといったら、自転車で潮干狩りに行くとか

美術館に行くとかで、遊園地なんて行った覚えがない。

 

口下手で、頑固でものすごく我儘なひとだったけど

父をとおして見るこの世界は

生々しさの中に美しさがあった。 

 

ほんものに出逢う機会は、人生の宝だと思う。

 

わたしの感性のルーツは、そこにある。

 

ほんものを愛するひとが伝えてくれることの力強さ。

背中を追う者たちは、言葉ではなくその生き方から

あり方をちゃんと学ぶんだよ。

 

わたしも、そういう存在でありたいと

今、こころから思う。 

 

 

あぁそういえば、父の日が近いね。

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