いのちよおどれ。

自分を知ることは、いのちを知ること、つまり、真理を知ること。

〇〇感に、ご用心。

正義は必要だけど、「正義感」は迷惑だ。 

 

あるとき、先輩がぽつりとつぶやいた一言が

深すぎて、わたしはとっさに反応できなかった。

 

たしかに、「〇〇感」とつくものは、くせ者だ。 

 

 

心理学を学ぶ人が、ほんとうによく使う

 

「罪悪感」って言葉、わたしは大嫌いなので

めったに使わない。

 

だって、罪悪感と、罪悪は違う。 

 

ついでに言うと

無価値感があっても、無価値ではない。

 

罪悪感(無価値感)のほとんどは

必要以上に巨大化したお化けみたいな感覚だ。

 

 

冷たい言い方だけど、その幻想に

無意識に餌をやって育ててるのは、本人だ。

 

わたしもさんざん育ててきたから、よくわかる。

けど、そのお化けに餌をやるのはもうやめたの。

 

 

罪悪感を使って、人は真実から逃げようとする。

 

それでも、正しい大きさの罪悪感を認識すれば

人と建設的につながる道を見出すこともできる。

 

だから、罪悪感を抱いたときほど 

立ち止まって、自分に問えばいい。

 

「それは、真実なの?」

 

 

わたしはよく、自分の感覚を信じよう!って言うけど

それは、誰かが言ってることを鵜呑みにするんじゃないよ

ってことで 

 

頭では違うってわかるんだけど…

自分だけが幸せになるのは、母を見捨てるような気がするんです

 

そんな感覚を信じなさいって話じゃない! 

それは、自分の感覚を疑うときよね。

 

上のたとえは、一見やさしそうに見えるけど

こころの中で自分が母親よりも優位に立ってるの、わかるかな?

 

わたしたちはみな、両親からいのちを受け継いだ存在で

その事実は、どれだけ頑張ってもひっくり返らない。

 

たとえどんなに、親が自分より頼りなく見えたとしても

いのちの順序は、逆転しない。

 

それが、真実。

 

ファミリー・コンステレーションという心理療法では 

「トゥルーセンテンス」という真実の言葉を述べることで

もつれてしまった人間関係を本来の位置に戻していく。

 

 

一体感ってのもあるよね。

一体感は、ほんとうに素晴らしい体感だけど

 

一体感と、一体は違うんだ。

 

何かをともにして、誰かと一体感を感じたとしても

個々の人格を尊重するっていう当たり前のことを

わたしたちは時々、忘れてしまう。 

 

神との一体感を感じる瞬間は至福のときだけど

神と一体ではない。

 

 

〇〇感に、ご用心。

 

今日はそんなことを、たくさん感じる一日だった。

 

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